

近ごろ、中国の短編動画プラットフォームで、某「211大学」卒業生の熊氏が注目を集めました。国際貿易の仕事に就いた後、何度か起業に挑戦するも失敗を重ね、最終的に住宅団地の警備員として働くに至った――その経緯を自身の動画で語ったためです。
「211大学」とは、以前のコラムでも触れましたが、中国政府が重点的に支援する高等教育政策「211工程」の対象となった大学を指し、「985大学」と並んで高学歴の象徴と受け止められています。
動画では「211大学卒の警備員」というタグが頻繁に使われ、勉強法の紹介や落ち着いた語り口も相まって、多くの視聴者を引きつけました。母校からも「心配している」との連絡があったそうです。ところが、その後まもなく、彼は警備員の職を解雇され、アカウントもプラットフォーム上で制限を受けました。解雇理由は明かされておらず、本人は学校との関係を否定し、「動画が注目を集めたことによる連鎖反応ではないか」と語っています。
この出来事をめぐり、世論は大きく割れました。「職業に貴賤はなく、労働は尊重されるべきだ」という声がある一方で、名門大学という肩書きを用いてインプレッションを稼いでおり、「誤解を招くのではないか」とする批判的な意見も見られました。
しかし、この論争の背後にあるのは、社会がいまだに抱え続けている「成功」に対する単一的なイメージ、そして学歴に過剰な期待を寄せてきた構造への不安でしょう。名門大学卒業生が配達員や警備員、露店商として働く例が話題になるたび、人々が覚える焦りは、個々人の選択に対するものではなく、「教育はもはや、従来の意味での成功を保障しないのではないか」という集団的な戸惑いに近いものです。
本来、「学歴=成功」ではありません。学歴の価値とは、階層上昇を約束する切符ではなく、どのような状況に置かれても冷静に考え、自分の言葉で語る力を与えてくれる点にあるはずです。もしかすると、「名門大卒の警備員」がもはやニュースにならなくなる日こそ、教育がようやく成熟へと向かい始める瞬間なのかもしれません。
三石