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~「仕組み」と「人」と「場」をつくる~人事と組織のマネジメントーー第21回 「会議が時間どおりに始まらない!」

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2012年09月21日

株式会社 J&G HRアドバイザリー
代表取締役社長 篠崎正芳
 

時間に厳格な日本人

 日本の社会では、「時間を守らない人は信用が低い」という固定観念があります。従って、日本人はプライベートでも仕事でも、他人と約束した時間を守るという行動習慣が定着しています。約束に遅れそうになると、信用を失いたくない意識が働き、必ず相手に連絡を入れお詫びをします。皆が時間を守るから自分も時間を守る、自分が時間を守るから皆にも時間を守らせるという好循環により、時間を守る行動は社会的に定着しているともいえます。

 日本の交通機関もしかりです。電車の運行スケジュールの正確性は世界一でしょう。飛行機も他国に比べると遅れは少ないです。私がANAに勤務していたときは、定刻より20分を超えて出発を遅らせると、当該便の出発責任者は遅延報告書を提出しなければなりませんでした。そのため、定刻+20分以内に出発させるためのオペレーションプロセスが徹底的に繰り返し改善されることになります。さらに、電車も飛行機も遅れが発生した場合は、必ず乗客に対してお詫びのアナウンスがあります。海外ではまずあり得ないことです。

 また、今は少なくなったかもしれませんが、会社の寮で門限を守らないと会社からの信用を失う、家の門限を守らないと親からの信用を失う、といった具合に、世代を問わず、公私共に時間を守ることを徹底的に教育されてきたのが日本人です。
海外ではどうでしょうか? 企業努力として時間を守らせるケースはあると思いますが、そもそも、日本と同じような時間に関わる社会的固定観念はないといっても過言ではありません。交通機関が時間に正確でないことはもとより、家庭でも親が子供に対して時間を守ることの大切さを優先して教育しているわけでもありません。

外国人は会議に遅れる

 国内の外国人は少数派なので、数の論理で日本人の行動に自らを適合させている人もいますが、海外では外国人の行動習慣が日常的にそのまま顕在化します。日本人マネジメントが主催する会議の開始時間に外国人がまだいないと、まず、日本人は本能的に「けしからん!」と感じますが、その具体的な理由は、「この人はルーズだ」「この人は自分勝手だ」「この人は信用に欠ける」ということになります。

 次に、開始時間を過ぎると会議室にいる日本人の表情が徐々に固くなり、強張り、眉間にしわができ、イライラが始まります。その理由は、自分たちにとって当たり前でないことが目の前で起きつつあるからです。そして、ほとんどのケースでは、遅れてきた外国人を強面で睨み、きつい言葉で叱ることになります。その結果、その場の雰囲気がものすごく凍りついてしまいます。さらに、遅れた人が理由を質問され答えだすとイライラが絶頂に達し、「それはいいわけだ、いいわけはいらない! 謝ればいい!」という具合です。遅れた側は「聞かれたから答えただけなのに…」「それなりの理由があったから仕方ないのに…」となります。その後しばらくは、待っていた人たちも遅れてきた人も脳の働きが停止してしまうことになり、事実上、空白の時間がしばらく流れることになります。これでは、会議の質に影響が出てしまいます。

外国人には日本的な忠告は効果がない

 個人差はありますが、多くの場合、外国人は時間に遅れることに対して日本人のように罪悪感は抱きません。時間に正確な交通機関が一般的でない海外では、たとえば交通渋滞は統制不能要因であり、いくらでもいいわけの材料になり得ます。このようないいわけに対して日本的に忠告するとすれば、「日本では雪や台風の日は電車が遅れることがある。そのようなとき、日本人なら、目的地までの所要時間を長めに見積もり、いつもより早く出る」「車の場合、時間帯で渋滞が予測できるなら、いつもより早く出ればよい」「時間に遅れないということが大切なのだ!」ということになります。しかし、この忠告はあまり効果はありません。交通事情に加え、そもそも民族性や気候が行動習慣に影響を与えている海外では、外国人が多数派であることから数の論理も働き、日本流の時間感覚に従えることは難しいのです。

外国人にとっては「形」よりも「内容」が大切

 背景に言語的な問題が潜んでいるのは事実ですが、多くの外国人は、日本人は「形」にこだわり過ぎて「内容」を軽視する傾向があると感じています。「会議の始まりの時間には厳しいけど、なぜ会議の内容にはこだわらないのだろう?」という疑問があるのです。日本人は「時間を守る」ことに厳しいが「時間を大切にする」という感覚が薄いと受け止められているのです。彼らにとって「時間を大切にする」とは共有するお互いの時間を有意義なものにするという意味です。たとえば、「お互いが理解し合えてよかった」「お互いが次にやるべきことがはっきりしてよかった」と感じられる時間にすることを意味しています。

 会議の中で、意見を求められ発言しても、賛成されるのでも反対されるのでもなければ、彼らにとって意見をいう意味がありません。最初から日本人マネジメントの間で結論が決まっていて、形式的にただ意見を言わされるのもフェアーではありません。また、予定していた会議の終わりの時間になり、何が決まったのかが不明なまま終えてしまうと、それこそ、消化不良となり有意義な時間にはなりません。さらに、その場では何も決まらず、その後、会議の再開の案内もなく、気がつくと、日本人マネジャーの間だけで結論が出されていた、ということになれば最悪です。実際のところ、案外このようなことは海外の現場だけでなく、本社を中心としたクロスカントリーの電話会議、テレビ会議でも起きているのです。

 一方で、会議が予定どおり始まったものの、盛り沢山であったため、予定の時間に終えることができず、終わりの時間がズルズルと伸びると、彼らは「日本人は始まりの時間には厳しいのに、終わりの時間には甘い」と感じます。終わりの時間が過ぎて次の予定があるため途中退席しようとすると、「まだ終わっていないのになぜ退席するのか!」と日本人も外国人も叱られてしまうケースがあります。この場合、お家芸の「時間を守る」ことにも疑問符をつけられてしまうことになるのです。


来月号では、外国人と接する中で日本人が感じる「時間」に関わるイライラを解消するための行動についてお話します。