キャスト中国ビジネス

~「仕組み」と「人」と「場」をつくる~人事と組織のマネジメントーー第38回 自己表現する(その1)

限定コンテンツ
2012年09月18日

株式会社 J&G HRアドバイザリー
代表取締役社長 篠崎正芳
 

聖徳太子の本来の教え

 “和を以て貴しとなす”。今から1400年以上前の604年に制定された17条憲法の第1条冒頭にある聖徳太子の言葉です。

 現在の日本社会では、通常、この言葉は、「角(カド)を立てず皆と仲良くする」「空気を読んで和を乱さないようにする」「自分の意見を飲みこんで(=殺して)集団の総意や流れに同調し従う」というような「行動」を意味します。さらに、このような行動が日本人的な行動であり、また、美徳であるとさえ考えられています。

 しかし、この言葉が初めて使われた当時、本来の意味は現在の解釈とは随分異なっていました。

 当時、この言葉は、「そもそも人間は派閥など排他的な集団を作りやすい。その結果、偏った見方や考え方にこだわることになってしまう。これでは全体として理にかなった結論を導き出すことが難しくなる。従って、道理にかなった合意を形成するためには、ひとりひとりがお互いに自由に意見を表現し、話し合いをすることが大変重要である」という意味でした。

 現在と当時では、「和」の解釈が違うのです。現在は「集団の総意や流れに従い同調すること」、当時は「私的なこだわりや偏見を捨て、公平・公正に議論すること」です。つまり、当時の「和」とは「和(やわ)らぐ」という意味で、「自分の心で正直に感じたこと考えたことを率直に表現する」という自然の摂理にかなった自然体の行動だったのです。異なる感じ方、考え方をもつ人が集まって自由闊達に議論や討論をし、(皆が賛成できるとは限らないが)結論を導き出し、合意を形成すべきであるという民主主義的な教えであったともいえます。現代にタイムスリップすれば、様々な価値観や考え方をもつ人が一緒に仕事をする上での世界標準的な行動でもあります。

バブル崩壊までの経済成長を支えた現在の「和」の解釈

 そもそも、“日本人の精神”は当時の「和」の解釈の中に宿っていたはずなのですが、時代の流れの中で、政治、行政、企業社会の都合に合わせて、本来の意味が現在の解釈に変化していったのでしょう。戦後、日本は所得倍増計画の大方針のもと、欧米に追い付け追い越せのスローガンを掲げ、経済復興を見事に成し遂げました。このプロセスでは、強いリーダーの下での集団力が不可欠でした。「集団の総意や流れに同調し従う」という現在の「和」の解釈は、この集団力を強める手段として大変有効だったのです。実際のところ、“和を以て貴しとなす”という言葉と現在の解釈は、家庭教育、学校教育、企業教育の中でしっかりと浸透し、バブル崩壊までの目覚ましい経済成長を支えてきたといってもよいでしょう。

不確定要素が多い時代こそ、本来の「和」の解釈に回帰すべし

 ここでよく考えなければいけないのは、時代の流れです。ざっくり大きく2つに分けると、バブル崩壊前と、バブル崩壊後からリーマンショック、東日本大震災を含めた現在までの2つです。

 バブル崩壊前までは経済や企業社会に勢いがありましたので、「大勢や集団の流れに同調する」行動をとっていれば、個人の雇用や収入は守られてきました。当時、終身雇用と年功序列が経営の基盤で、会社と社員は「運命共同体」であるという考え方が一般的でした。この「大前提」のもと、個を殺して集団に同調していれば、結果的に個人の利益は十分保障されていたのです。その「安心感」こそが、当時、世界の人を驚かせ恐れさせた摩訶不思議な集団力を生み出し、事実、日本企業を世界の勝ち組に導いたのです。

 しかし、バブル崩壊後から現在に至るまでは、政治、行政に加え、多くの企業も“行き先”を見失って迷走を続け、未だ、夢や希望のある出口を見つけることができない状況が続いています。もちろん、今後の先行きも全く不透明といってよいでしょう。幸い、終身雇用という慣行は日本の大企業を中心に未だ存続していますが、“リストラ”という言葉が定着しているとおり、その「形」は既に大きく変化してきました。収入の右肩上がりはさることながらその安定的確保さえ全社員に対して保障が難しいのが企業の台所事情の実態でしょう。さらに、バブル崩壊前までの社員の「安心感」も大きく薄れ、世界に誇る“お家芸”であった当時の集団力はすっかり陰りを帯びています。

 このように不確定要素に溢れる状況下では、特定の集団や組織に依存し同調する行動は大変危険です。ひとりひとりが「自分で考えたことを率直に表現する」行動を強め、“生きた”議論をすることが大切なのです。政治家も官僚も経営者もビジネスパーソンも、“和を以て貴しとなす”の本来の意味に回帰し、遠い昔の“日本人の精神”を取り戻すことが今、とても重要だと思います。

ベースとなる個人力を強める

 追い風が吹いている時は、長いものに巻かれながらその風に乗るのも心地よいひとつの方法です。一方で、逆風が吹いている時、出口が見えない不透明感の高い時は、ひとりひとりが地に足をつけて、自分で情報を集め選択し、自分の考えを明確にして表現し行動しなければ前進することは難しいです。また、他人と率直に議論できなければ、偏った考え方にこだわることになり、視界が広がらず、結果、突破口が見つからず前進できなくなります。周囲の人が少しでも前進しているとすると、いつまでも立ち止まっていることは、事実上、相対的に後退を意味することになります。

 つまり、時代の流れの中では、集団力が効果的な時もあれば、ひとりひとりの個人力が強く求められる時もあるのです。ただ、本来、集団力のベースは個人力でなければおかしいので、ひとりひとりが個人力を磨き強めることはどんな時代にも求められるのです。常日頃、ものの見方や考え方、行動を鍛えている人こそが、どんな時代でも“本物の”強さを発揮することができるのです。
 


次回は、日本企業の中で、現在の「和」の解釈が生み出す「人材タイプ」の現状と、今後のグローバル人材育成の本質的な方向感について具体的にお話します。